5社合併までの黎明期の歴史をひもとくと、筑豊を拠点に活躍し、「炭鉱王」と呼ばれた麻生太吉(1857-1933、麻生太郎副首相兼財務相の曾祖父)や、福岡市の発展に貢献した渡辺與八郎(1866-1911)ら、戦前の大物財界人が数多く表舞台に登場する。太田も鉄道、電力、金融・保険などの事業を幅広く手がけた。
中でも西鉄の礎を築いたといえるのは、長崎県・壱岐出身の実業家、松永安左ヱ門(1875-1971)だろう。戦前の五大電力の1つ、東邦電力の総帥で「電力王」「電力の鬼」と言われた人物であり、九州電力や西部ガスの礎を築いたのも松永だった。
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「相場より高くてもいいからどんどん用地を買え。早く片付けてしまえ!」
昭和10年前後、松永は東京から一昼夜かけて鉄道や船を乗り継ぎ、たびたび福岡・天神を訪れては、東邦電力傘下の九州鉄道社長、進藤甲兵を怒鳴りつけた。用地買収が思うように進まず、自らが肝いりで進める福岡-熊本間の都市間高速電車「九州鉄道」計画が難航していたからだ。
松永は大正11年から九州鉄道計画を陣頭指揮した。福岡-熊本の2大都市の間には、陸軍が第12師団を置く久留米、三井財閥が拠点を置く産炭地である大牟田などもある。この間を高速電車で結べば、「産業発展の大動脈となる」と確信していたのだ。