また、松永は、九州鉄道春日原駅周辺に球場や競馬場を整備するなど沿線開発にも取り組んだ。
西鉄は戦後、九州鉄道=天神大牟田線を基軸にバス路線網を拡大し、売り上げを伸ばした。平成24年度の鉄道事業の売上高は213億円(グループ会社の筑豊電鉄をのぞく)で西鉄グループ全体の6%にすぎないが、天神大牟田線が経営の基軸であることに変わりはない。百年先まで見据えた松永の先見の明は驚愕に値する。
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だが、戦争拡大に伴い、松永は追い込まれていく。「聖戦目的完遂のため」と産業の国家統制はますます強まったからだ。
政府は国家総動員法に基づき、電力事業を国家管理下に置くべく電力会社の再編を進め、昭和17年に東邦電力は解散に追い込まれた。松永は「官僚は人間のクズだ」と吐き捨て、67歳で産業界の第一線から身を引き、隠居生活に入ってしまう。松永は電力も鉄道も統合論者ではあったが、あくまでも民間主導でやるべきであり、国家管理は産業力を弱めるだけだと考えていたのだ。
同じ頃、福岡県内では電鉄5社合併に向けた協議が佳境を迎えていた。
東邦電力は5社のうち九州鉄道と福博電車を傘下に収めていた。残る3社のうち博多湾鉄道汽船と筑前参宮鉄道の2社は太田清蔵が経営権を握っていた。