「交通機関はネットワークを拡大させることで経営基盤を安定させ、運賃も引き下げを図るべきだ」
松永は、かねて乱立する私鉄を統合させ、利便性を上げることが経済発展につながると説き続けていた。九州鉄道の延伸の過程でも沿線の二日市-太宰府間の太宰府軌道(現在の西鉄太宰府線)などローカル線を次々に買収し、支線化していった。
昭和16年、松永は満を持して大牟田-熊本間の建設・運行を担う「大熊鉄道」を設立、鉄道省に鉄道敷設を出願した。ところが、この年の12月8日、連合艦隊による真珠湾攻撃を機に日米は全面戦争に突入。熊本県側の福岡資本進出への反発も強く計画は頓挫した。
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松永は昭和9年に、福岡市で路面電車を運営していた博多電気軌道の経営権を掌握し、福博電車を設立させていた。松永は、電力事業のパイオニアとしての印象が強いが、電力を利用した運輸網の拡大についても「車の両輪」と捉えていたようだ。
鉄道経営にのめりこんだ理由はもう一つある。阪急電鉄の創業者、小林一三(1873-1957)の存在である。