第一弾は、平成6年10月の「サンリヤン月の浦」(49戸、大野城市)。西鉄にとって実に13年ぶりのマンションだったが、即日完売だった。自信を深めた横尾は、大野城、春日、小郡など天神大牟田線沿線を中心に毎年200~400戸のハイペースでサンリヤンマンションを建設した。
国鉄民営化(昭和62年)で誕生したJR九州もマンション事業を本格化させていた。天神大牟田線とJRの鹿児島線は並走しており、必然的にマンションでも競合した。
高速バス事業でもJRと激しいバトルを繰り広げた横尾は「負けてなるものか!」と執念を燃やした。ついには古巣のバス部門の和白営業所(福岡市東区)を隣の新宮町に移転させ、跡地とその隣接地にサンリヤンマンション6棟(計260戸)を建てた。
こうした積極策により、平成3年度に54億円だった住宅事業の売り上げは、5年目の7年度に100億円に「倍増」、11年度は166億円となった。
だが、そんな絶頂期の平成11年6月末、横尾は突然退任してしまう。
「次は市場が大きい東京だ」と横尾は東京進出に意欲を燃やしていたが、西鉄首脳陣は首を横に振った。横尾は部下に「面白くない!」と言い残して去り、その後、19年4月に死去するまで表舞台に戻ることはなかった。
現在、サンリヤンマンションは福岡県内を中心に計122棟、5658戸に達し、福岡県民にはおなじみの存在になっている。
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横尾がマンション事業で快進撃を続けた時期、バブル崩壊による地価低迷により、宅地開発事業は苦境に陥っていた。
「今のままではデベロッパーとしての将来がない。宅地を分譲するだけでなく、自分たちで家を建て、街を作るべきです」
平成7年、戸建て住宅課長に就任した鈴木信一郎(62)=現専務・住宅事業本部長=が、横尾にこう進言してゴーサインをもらったのが、小規模な建売住宅地「サニーヴィラシリーズ」だった。