ずばぬけた戦闘力は、米軍に「ゼロ(零戦)と格闘戦をしてはならない」という指示を徹底させた。当時の米国の文学には「あの女はゼロよりも手ごわい」「若い女をくどき落とすのは難しくないが、ゼロを落とすのは容易ではない」など、難攻不落のたとえとして零戦を持ち出す表現がみられるほどだ。
米軍を畏怖させた零戦製造の技術力は今、安全性と快適性に生かされていると、多くの関係者は語る。
素材へのこだわりも受け継がれている。戦前、戦闘機に求められた耐久性と軽量性を確保するため、住友金属工業は「超々ジュラルミン」という高強度素材を開発した。MRJも、垂直尾翼などに高強度で軽量の最先端素材「炭素繊維」を採用している。
零戦の開発中には2回の墜落を経験するなど苦労もあったが、堀越氏をはじめ当時の技術者が奮闘し、技術の革新が進んだ。そして、終戦間際には、現在のMRJにも通じる、幻のジェット機が誕生した。
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終戦から70回目の夏を迎えた。戦前、世界屈指のレベルにありながら敗戦によって衰退した日本の航空産業が、ここにきて再浮上のきっかけをつかもうとしている。日本の翼のDNAを3回にわたって紹介する。