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プレモルの成功で、サントリーのビール事業は、1963年の再参入以来、40年以上続いた赤字から脱却した。撤退さえ検討されていたビール事業の快挙に社内は沸き返り、メディアの取材も相次いだ。
しかし、青山は自分の功績には触れず、風味の改良に取り組んだ開発陣や、知恵を絞って販売拡張に汗を流した現場営業担当者らの努力を強調した。何よりも「レギュラーの『モルツ』は売らんでええ。徹底的にプレミアムで行け」と号令をかけた佐治の決断力に心酔し、それを支えることが自らの務めと思い定めていたからだ。
「私は構想を立て、実行に移す参謀役。トップの優れた決断があってこそ仕事を成すことができる」。裏方に徹する青山に、佐治も全幅の信頼を置き、経営課題について会長室で2~3時間話し込む日もしばしばだ。青山の“番頭力”がサントリーの屋台骨を支えている。
「本社お膝元の大阪で、ビールのシェアがわずか1桁とは情けない。来年には2桁に伸ばすぞ」
1981年夏、サントリー大阪支店。米国帰りの35歳の新任支店長だった佐治が、部下らに強い口調で訴えた。
支店長とはいえ佐治は、すでに社内の誰もが認めるプリンスだった。前年に米国子会社の社長としてペプシ系のボトラー会社を220億円で買収。同国での清涼飲料事業に本格参入する道筋を付け、意気揚々と帰国したばかりだった。