高度経済成長の真っただ中、日本列島は猛スピードで道路整備が進んだ。38年7月、日本初の高速道路として名神高速道路・栗東-尼崎間が完成し、40年に全線開通。44年には東名高速道路が開通した。35年に14万台だった乗用車の販売台数は、10年後の45年に237万台まで急増し、自動車大国の礎を築いた。
トヨタ在籍時に5代目カローラのデザインに関わったトヨタ博物館前館長の杉浦孝彦(64)は「量販車の中核を占めたカローラは初代から会社の屋台骨を支えた」と指摘した。
ただ、カローラは企画段階から恵まれたクルマではなかった。あまたの障害を乗り越える原動力となったのは、開発者らの強い思いだった。
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昭和29年12月から48年11月までの約19年間、日本は年平均10%以上の経済成長を続け、戦後の焼け野原から奇跡的な復興をなしとげた。日本の産業界が輝いた高度経済成長の軌跡をふりかえる。
「モータリゼーションはすぐ向こうに見えています」
昭和39年ごろ、トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)技術管理部の長谷川龍雄(故人)は熱弁を振るった。相手は「販売の神様」と呼ばれたトヨタ自動車販売の神谷正太郎社長(故人)だ。