カローラ開発秘話、「打倒サニー」へ渾身のエンジン変更、33年国内首位の怪物生む (4/6ページ)

2015.8.20 01:12

カローラ1号車のラインオフ式=昭和41年(トヨタ自動車提供)

カローラ1号車のラインオフ式=昭和41年(トヨタ自動車提供)【拡大】

  • 第13回東京モーターショーに出展された初代「カローラ」=昭和41年(トヨタ自動車提供)
  • 初代「カローラ」の運転席。ハイウェー時代の到来をにらみ、高速運転で機敏な変速できる運転席脇のフロアシフトが採用された=愛知県長久手市のトヨタ博物館

 長谷川が示したのは排気量1000ccの新型車、カローラの企画書だ。2年前からひそかに温め、トヨタ自工の役員会に提示したが「まだ早すぎる」と難色を示されたものだ。

 トヨタ自工とトヨタ自販は当時、別会社で「企画書段階で自販に情報をリークするのはルール違反」(長谷川)だった。横紙破りを承知で長谷川がカローラの開発に取り組んだのは、自ら手掛けた初代「パブリカ」(36年発売)からの脱却が背景にある。

 戦時中、立川飛行機の主任設計技師だった長谷川は終戦後、トヨタ自工に入社。初代「クラウン」(30年発売)の開発に携わった後、新車開発を取り仕切る主査として手掛けたのがパブリカだった。

 政府の「国民車構想」を受けてパブリカは開発された。燃費など性能面の評価は高かったが、価格を抑えるため、室内の鉄板がむき出しの簡素な車だ。販売は苦戦した。

 価格や維持費が手ごろで、かつ品質も高い。長谷川はカローラで「あらゆる面で80点以上の合格点」を目指した。

 「月産1万台は保証します」という長谷川に、神谷はトレードマークの太い眉を動かし、こう答えた。

 「もう一度会おう」

 トヨタ自工で新型車開発が認められたのは、それからまもなくだった。

「エンジンと同じくらい重要な部品だ。外注はまかりならん」

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