東芝本社=東京都港区(宮崎瑞穂撮影)【拡大】
「大阪の銀行には、嗅覚を働かせて取引しなかったところもあったのに、恥ずかしい」。こう中山氏は当時、怪しげな女将を安易に信用した後輩たちの不明を嘆いていた。興銀の首脳部は責任問題の処理を自分たちで決めかねて、とうの昔に経営から離れていた中山氏の判断を仰がざるを得なかった。
宅急便を始めたヤマト運輸(現ヤマトホールディングス)の小倉昌男元社長(故人)は現役引退後、障害者福祉に情熱を注ぎ、模範的な第二の人生を送った人物として知られる。だが小倉氏は会長退任後、代表取締役相談役だったときがある。
さらに2年で会長に復帰したのだから、表面的には老害とみられてもおかしくない。当時、ヤマトは宅急便の大成功で経営が甘くなっていた。たがを締め直すのは、大御所の小倉氏でなければ難しかった。立て直しを終えると会長を2年で辞し、今度は相談役にも就かず会社からきっぱりと離れた。