当時は塾生1600人。講師は医学部などに通うエリートの学生たちで、いじわるを言われるなど当初は運営に苦労したという。
加代子さんは一人一人に事情を話して協力を要請。社員旅行をしたり、表彰制度を導入したりして徐々に意思疎通を深めた。
眼科医院では、夫の代わりに派遣された医師が診察を担当したが、次第に患者は減少。経営に苦しんだ。それでも夫の車を運転して患者を送迎するなど必死の努力を重ねた。
◆暗いイメージ覆る
徐々に事業も軌道に乗り始めた頃、加代子さんの友人が開設した特別養護老人ホームを見学に訪れた。快適な空間で、それまで特別養護老人ホームに抱いていた暗いイメージは、たちまち覆された。そして寝たきりだった祖母を懸命に介護していた母親の姿が目に浮かんだ。
「すてきな特別養護老人ホームをつくることで、介護疲れに陥る人を減らせるのでは」と考えた。
早速、夫の名前にちなんだ社会福祉法人隆生福祉会を立ち上げた。その後、大阪市や兵庫県尼崎市に特別養護老人ホームをオープンさせた。
北欧の介護手法を採用し、広々とした建物や文化的な環境、温かく、おいしい食事などを心掛けている。