その言葉を聞いた時の、筆者の絶望を想像してほしい。2002年の死亡事故からたった3年しか経っていない。それでもうみそぎは済んだというのか……。リコール隠しはどう割り引いてもひどい問題だったが、それを乗り越えて頑張って再起してほしい。当初はそう願っていた筆者にとって、それはとても残酷な言葉だった。
以来、三菱の原稿は1本も書いていない。試乗の機会があっても行っていない。試乗してクルマの出来が良かったら、良いクルマだと書くしかない。しかしそれで、原稿を読んでクルマを買った読者にもしものことがあった時、原稿の書き手としてどう詫びればいいのか。かと言って、それを理解してもらうために、毎回毎回、原稿の序文で三菱のリコール隠しについて触れ「乗って分かるクルマの出来とは別の問題に、筆者は責任を負えない」と断るのも常軌を逸しているではないか。試乗だけでは不明な部分に何を隠してあるか分からないクルマは乗ったら負けだ。だから、頑なに書かなかった。
もちろん、かつても、そして今も、三菱の中には本気で改革を考えている人は絶対にいる。2005年当時の三菱のキャッチフレーズは「答えは、クルマで出します。」だったのだ。筆者自身もずっと「少し意固地過ぎはしまいか。人の善意をもっと信じてもいいのではないか」という思いを抱えてきた。そういう思いで過ごして来て、今回の燃費データ不正の報道に触れたのである。あんまりだ。今回だけは書かなくてはならない。そう決断してこの原稿を書いている。