
ファーストリテイリングの柳井正社長とソフトバンクグループの孫正義社長(2006年11月撮影)。2人の特別対談は『成功はゴミ箱の中に』(プレジデント社)に収録されている。【拡大】
事業家として別の一面も見せます。後年には「レイ・クロック財団」を設立して、糖尿病、関節炎、多発性硬化症などの事業を支援したのです。自分や身内がこの病気に罹患したり、亡くなったりしたのも理由でした。各地の病院だけでなく、劇場、動物園や博物館には施設や設備を寄贈しています。当時、寄付総額で750万ドルに達したそうです。欧米流の「ノブレス・オブリージュ」(高貴なる者に伴う義務)を実践したといえましょう。
事業も恋愛も「継続」した
一方で、ひとりの男性としての彼は3度の結婚をしました。最初の妻・エセルとは長年の婚姻生活の後、破たんしています。自伝では「35年の幸せな結婚生活の後に、5年のつらい歳月を過ごし、やがて離婚を迎えることになる」と綴っています。
その後も恋愛はしており、自伝ではそうした経緯も明かしています。恋い焦がれた後、一度はあきらめたジョニという女性(マクドナルドFC店オーナー、ロランド・スミス氏の妻)と5年ぶりに再会した時の心境はこうでした。
「ああ! 私は初デートの前の10代の少年のような気持ちだった」
この時、クロックは65歳(か66歳)。ジョニをあきらめて別の女性(ジェーン)と再婚していた既婚者でした。このように仕事も恋愛も“超肉食系”と称されるクロックは、女性からは「業績のすごさは認めるけど男性としては…」と敬遠される一面もあります。
決して四角四面の人ではないクロックが、繰り返し唱えたのは「継続」でした。
「この世界で継続ほど価値のあるものはない。才能は違う--才能があっても失敗している人はたくさんいる。天才も違う--恵まれなかった天才はことわざになるほどこの世にいる。教育も違う--世界には教育を受けた落伍者があふれている。信念と継続だけが全能である」
(『成功はゴミ箱の中に』より)
「絶対に失敗しない唯一の方法は成功するまであきらめないこと」に通じる“信念”です。
レイ クロック(Raymond Albert Kroc/1902-1984)
1902年米国・シカゴ郊外のオークパーク生まれ。高校中退後、ペーパーカップのセールスマン、ピアノ演奏者、マルチミキサーのセールスマンなどで働く。1954年、マクドナルド兄弟と出会い、「マクドナルド」のフランチャイズ権を獲得、全米展開に成功。1984年には世界8000店舗へと拡大した(現在「マクドナルド」は世界118の国・地域に約3万店を展開)。後年にレイ・クロック財団を設立。メジャーリーグのサンディエゴ・パドレス獲得など精力的に活動した。
(経済ジャーナリスト 高井 尚之)(PRESIDENT Online)