信頼を失うことの重みを見誤っていたとしかいいようがない。意図があろうがなかろうが客を欺いたのであれば、世間の感覚ではこれを偽装という。非を認めて謝罪することからしか信頼回復は始まらない。
一連の問題で目立った「誤表示」「意図はない」の連発も、世間の感覚では言い訳という。不信を募らせることにしかならない。6年前、産地偽装が問題になった大阪の料亭の社長(当時)は「意図したものではない」としていたが、翌年、食べ残しの使い回しが発覚。廃業に追い込まれた。
社会資本としての「信頼」
社会学などで、「信頼」が社会の大きな資本をなすという考え方がある。筆者なりにおおざっぱにいえば、こういうことだ。
法も道徳もないに等しい地域があるとする。そこには店も工場もあるが、嘘つきや悪漢がごろごろいる。ふつうの住民が外に出れば襲われるかもしれないし、店にたどりついたとしてもまがい物を高額で売られるかもしれない。店にしても、工場から仕入れている商品が本物かどうかわからない。