食材偽装を社会や国家の信頼にまでつなげていく見方など、いまどき笑われるかもしれない。過去にもこんな文がある。「もし商業を談ずるにあたりて、国家ということをもってせば、人みな笑いて空論とし、嘲(あざけ)りて過大とするを常とす」。資本主義化が進む近代日本で、公益を忘れ私利にのみ走る商人を批判して言論人、三宅雪嶺(せつれい)が書き付けた言葉。明治24(1891)年のこの本、題を「偽悪醜日本人」という。
次から次へと偽装は明らかになった。程度に差はあれ、正すべきは正すべし。今年の世相を表す漢字が再び「偽」となることなどないよう、願う。