室町幕府第15代将軍、足利義昭が織田信長からの攻撃を恐れ、造ったとみられる旧二条城跡の〝第3の堀〟(右下)。近くでは13代将軍、義輝の御所「武衛陣第」の堀も見つかった。巨大な堀で防御力を高める平地の城造りの源流をみることができる【拡大】
しかし、権力の回復を目指した義昭は、信長の強引な政治手法に嫌気がさして次第に対立。信長討伐に向け、朝倉義景、浅井長政、武田信玄、毛利輝元、三好三人衆、さらには比叡山延暦寺や石山本願寺などの寺社勢力にも呼びかけ、「信長包囲網」を結成するに至る。元亀2(1571)年から、信玄が病死した元亀4・天正元(1573)年にかけての動きだ。
そして義昭は信長の来襲に備え、二条城にもともと造られていた外堀と内堀のほかに新たな堀を設けた。
ポルトガル人宣教師、ルイス・フロイスは、天正元年に義昭が城の守りを強化させるため、外堀と内堀とは別に第3の堀を造ったという内容の記述を残した。「この城は三つの堀を備え、日本人にとっては落としがたい城だった」と当時の様子を伝えている。
同調査会は、今回見つかった堀はフロイスの言う“第3の堀”の可能性が高いとみている。
義輝時代の武衛陣第も
一方、義昭の兄にあたる13代将軍、義輝が暮らした武衛陣第の堀跡は旧二条城の堀の北隣から並走するように出土した。