室町幕府第15代将軍、足利義昭が織田信長からの攻撃を恐れ、造ったとみられる旧二条城跡の〝第3の堀〟(右下)。近くでは13代将軍、義輝の御所「武衛陣第」の堀も見つかった。巨大な堀で防御力を高める平地の城造りの源流をみることができる【拡大】
今回見つかった堀は、外堀ではなく、堀は複数の層に重なっていたとみられる。中井教授は「(平地の)平城を守るには巨大な堀を設けるしかないが、そういった考えを示した最初期のものだろう」と説明する。
発掘調査では、堀につながるように出土した炭まじりの南北溝も武衛陣第時代のものと確認された。武衛陣第完成直前の永禄8(1565)年、義輝が三好、松永両氏に襲撃され、殺害されたときに建物の焼失した跡とみている。
武衛陣第について、京都市文化財保護課の馬瀬智光係長は「足利将軍家とゆかりの深い当時のメーンストリートの室町通沿いで、天皇のいる御所もすぐそこ。表面上、天皇を守る征夷大将軍としては絶好の場所だった」と指摘。「義輝は近江の大名・六角氏に頼った際に堀の使い方を学んだろう」と話していた。
家康、源氏の直系アピール?
義輝の死後、信長がこの地に目を付け、武衛陣第跡をさらに拡張して築いたのが、義昭時代の二条城だ。
周囲からいつ襲われるのか分からないという緊迫した情勢の中で、信長が永禄12(1569)年に緊急に築城にとりかかり、武衛陣第の一部や当時あった東洞院川などを生かしながら70日間で築かれたとされる。