室町幕府第15代将軍、足利義昭が織田信長からの攻撃を恐れ、造ったとみられる旧二条城跡の〝第3の堀〟(右下)。近くでは13代将軍、義輝の御所「武衛陣第」の堀も見つかった。巨大な堀で防御力を高める平地の城造りの源流をみることができる【拡大】
2段底の東西堀で幅6メートル、深さ2・3メートル。専門家によると、旧二条城に比べ規模はやや小さいものの、この時期の将軍邸の堀としては大規模なのだという。
城郭研究の第一人者の滋賀県立大の中井均教授は「むしろ防御に優れた城に近い存在を感じる」と話す。
もともと武衛陣第は、かつては室町幕府の有力大名・斯波氏の本宅だった。当主が左兵衛督になったことで兵衛の中国名「武衛」から名付けられたとされ、斯波氏が領地に帰った後は義輝が邸宅として使っていたという。
巨大な堀の源流
この堀跡について、中井教授は「武衛陣第と確認できた遺構としては初めてではないか」と語る。発掘現場は京都市中心部の都心部で、大規模な公共工事やマンション建設などに伴って調査が行われた。
武衛陣第については、これまでの調査でも可能性がある一部の遺構が見つかっていたが、部分的なものだったため、正確には確認できていなかったという。
今回の発掘調査で専門家たちが注目したのは、堀の大きさだ。
武衛陣第の堀は、京都を中心に戦火が広がった室町時代後期の応仁の乱(1467~77年)で斯波氏が巡らした堀だが、義輝がその後、防御を強化して、簡単に攻略されないような構えを造ろうとしていた形跡がうかがえるという。