【地球を掴め国土を守れ】技研製作所の51年(18)1号機が完成「これはいけるぜよ」 (1/2ページ)

サイレントパイラー1号機。後継機よりかなり大型だ
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 昭和50年7月、無振動・無騒音の杭(くい)打ち機「サイレントパイラー」の1号機が完成した。技研製作所(当時、高知技研コンサルタント)社長の北村精男(あきお)が、「高知のエジソン」の異名をもつ垣内保夫のもとを訪れてから約2年の歳月がたっていた。

 実験は高知市内で行われたが、北村はこのときのことを「最初の実験場所が地盤の硬い場所だったら、失敗していただろう。そうしたら、その後の開発をあきらめていた可能性が高い」と感慨を込めて振り返る。

 実験場所は、最初の事務所が台風の被害にあったのち移転した新社屋の隣の畑。そこは安定したシルト地盤(軟らかい堆積層)だった。それが奏功した。

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 垣内(当時、垣内商店)の工場から運び込み、あらかじめ打ち込んでおいた3本の杭にサイレントパイラーをセットした。北村と垣内らが固唾(かたず)をのんで見守るなか、機械を製造した垣内商店の社員、西薫弘が杭を圧入するバルブ・レバーを引いた。

 杭は音も振動もなく、滑り込むように、地面の中に吸い込まれていった。

 関係者から、安堵(あんど)とも感嘆ともいえるため息が漏れた。その時、そばで見ていた畑の所有者の高橋正一郎が発した言葉を、北村は忘れることができない。

 「北村さん、こりゃ良(え)いもん造ったのう。これはいけるぜよ!」

 関係者は、「圧入原理」の存在が実証された実験の成功を心から喜んだ。が、前述したように、実験場所の地盤が軟らかったことが実験成功の決め手だった。

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