勤めて3年を経た頃、大好きだったお祖父さんの癌がみつかり、元気印がじょじょにかげっていく様子が気になった。お祖父さんは大きな酒蔵を経営していた。「この400年近い歴史のある酒蔵を後世に伝えていくべきではないか?」との問いかけがはじまった。
そうして会社を辞めて東京の酒の流通業にアルバイトで入り、酒の世界に足を踏み入れた。基礎的なことは習得したと思ったとき、恋人がロンドンに留学することになった。彼女もロンドンに一緒に行きたいと思い、検索エンジンに酒とレストランと入れて探してみつけたのが、世界に6店舗をもつ高級日本レストランのズマだった。
平均客単価が約3万円で席数300の店で、ワインのソムリエと一緒に日本酒担当のソムリエとして仕事をした。売上の比率としてワイン3に対して酒1の割合だった。ここや他のグループレストランで酒の売り上げを何倍にも伸ばしたのだが、その成功の理由は自分だけで売ろうとするのではなく、他のワインのソムリエやウエイターが売りやすいようなシステムを作り上げたことだった。
このあたりに前職の経験がとっても生きていそうだ。そして独立した。
「この世界に誘ってくれたおじいちゃんに感謝したくて、もっと広い視野でお酒の普及に関わりたいと思ったのです」と語る。「おじいちゃんは癌がなおりもとのように元気になり、早く結婚して旦那に酒商売をやらせてお前は助けろ、とかいろいろと言われましたが、最近、やっと私の仕事を認めてくれるようになりました」とほほ笑む。