語学ができない。メンタリティがクローズだ。島国はダメだ。
そんな耳にタコができるような批判を単純に繰り返している場合ではないという気がする。「根本的な解決方法」として、英語の早期教育だとか、若い時からの異文化接触という掛け声ともつかぬアイディアが無尽蔵にあるが、それらは散在しているに過ぎない。したがって、「総合的見地」からの批判に対抗できないこと夥しい。
こういう意見の応酬はすれ違いになることが多く、徒労感だけで終わる可能性が高い。だから、ぼくはこういう議論をなるべく避けたい。だいたいにおいて「国際的に通用する」というフレーズが想定する状況にバリエーションがあり過ぎる。
かといって、日本の歴史のディテールや作法の一端が日本文化を体現しているがために、「日本のことを熟知してこそ国際人」と強調しながら暗に逃げの姿勢にはいっているタイプに、ぼくの嗅覚はわりと敏感に反応する。
極めつきは、「人格がすべて!」という結論だ。そんな当たり前のことを今更言うな、と思う。教養の重要さも、これに近いところがある。どれも否定すべき要素は一切ないのだが、それらが独り歩きするかのような印象があると違和感を覚える。