その後、米英など主戦派各国は(1)イラクが査察に条件を付けるなど、決議1441が警告した《最後の機会》に積極的協力をしない(2)既にそれ以前、日本などが提案した決議1154(1998年採択)による《いかなる決議侵害も最も重大な結果をもたらす》との最終警告も示されていた-と判断。2003年3月20日、多国籍軍がイラクを攻撃した=第二次湾岸戦争。
両国は《大量破壊兵器の無条件査察/武装解除》には賛成だった反面、査察継続を唱え、攻撃には終始反対した。過去の決議は査察に限る内容で、攻撃には「新たな国連決議が必要」との論理だ。「新決議」の有無は今尚、開戦の正当性を問う最大の争点として解釈が分かれる。この構図はシリア問題でも浮上している。
もっとも開戦/非戦の決断は正邪で判定されない。シリアは、クウェートに侵攻したイラクを最初に軍事制裁した第一次湾岸戦争(1990~91年)に参戦。米国に、レバノン内戦終結の一任を取り付けた。第二次湾岸戦争で、ロシアが開戦を反対した理由は、イラク国内の石油利権や兵器輸出国の喪失に危機感を抱いたためでもあった。シリアもイラク同様、兵器や原子力発電所の有力な売り込み先。シリア問題をめぐるロシアの非戦姿勢は、2008年のグルジア侵攻など忘れたかのようだ。