2011年1月14日、インドネシアから防衛省に寄贈されたスディルマン陸軍大将(1916~50年)の銅像の除幕式後、像の前で握手する北沢俊美防衛相(当時、右)とインドネシアのプルノモ国防相。将軍は大日本帝國陸軍から不屈のセイシン(精神)を学び、インドネシアの独立戦争を戦い抜いた(防衛省提供)【拡大】
《黄色い人》は善政を実行に移す。《蘭領東インド》を《インドネシア》に改称。公用語を蘭語からインドネシア語に改めた。国旗掲揚・国歌斉唱を復活させた。独立を見据え、インドネシア人を官庁・企業の次席級を含む高職位に就け、各種の学校を開校。逮捕・監禁された独立運動家も釈放した。
ただ小欄は、インドネシア独立に最も強く直接影響したのは郷土防衛義勇軍=PETA(ペタ)創設だと思っている。終戦時には3万8000人まで膨れたインドネシア人による義勇軍は、後の独立戦争(1945~49年)→国軍創設の核となる。《帝國陸海軍の傀儡(かいらい)》との指摘は少し違う。確かに、帝國陸軍の兵力不足を補う側面は認められる。ただし、インドネシア指導層にも、完全な独立達成に国軍創設は不可欠という深刻な危機感があった。
帝國陸軍はペタ幹部候補生に直接軍事教育を行った。「正直であれ/勇気を持て/常に前進せよ」の三訓が叩(たた)き込まれた。今尚(なお)、国軍退役将軍は「ソッセンスイハン(率先垂範)」を諳(そらん)ずる。日本人教官は完全武装しヒルだらけの川を渡るなど、身を以て手本を示した。触れたこともない祖国の歴史や世界情勢の座学もあった。斯くして、訓練は厳しかったが優柔不断・小心臆病だったインドネシア人は次第に死への恐怖を克服し、愛国心を覚醒させていった。