1940(昭和15)年9月27日、東京・麹町の外相官邸で開かれた「日独伊三国同盟」締結祝賀会に臨んだ東條英機陸相(当時、軍靴姿の中央)。同盟は同盟として、一方で東條はユダヤ人の痛みに情けをかけていた。乾杯の音頭を取っているのは松岡洋右外相【拡大】
ユダヤ難民の扱いでは、永世中立国スイスでさえ暗部を抱える。スイスはドイツとともに38年、ユダヤ人旅券にユダヤの頭文字《J》のスタンプ押印を義務付けた。キリスト教文化の根付くスイスには19世紀半ば以来、反ユダヤ主義が認められる。そこに、労働市場を難民に奪われる懸念やドイツの侵攻を恐れるスイス政府の意向が加わった。42年には、ユダヤ人を念頭に難民の国境引き離し政策を実施。多くのユダヤ人がスイス入国を果たせなかったが、出発地への帰還は死を意味した。
人種差別も後押しした米国の対日強硬策を、ユダヤ人を通し打開する工作の一面もあったろう。だが、“A級戦犯”として絞首刑となった東條はじめ日本の軍人が、ドイツを含む欧米列強による蔑(さげす)みに悲憤し、ユダヤ人の痛みに情けをかけた心根(こころね)は紛れもない。
もしユダヤ社会が、宗教観の違う日本に偏見を抱き、意図的に批判するなら大いなる矛盾だ。偏見こそ、ユダヤの敵ではないか。ユダヤ人を救ったのも、日本人のDNA=おおらかな宗教観故ではなかったか。
ところで、イスラエルの中国武器市場のシェアは2位、韓国でも3位前後に陣取る。ただ、小欄はユダヤ社会が優しき武士(もののふ)の心を仇(あだ)で返し“算盤(そろばん)勘定”を優先したとは努努(ゆめゆめ)思わない。(政治部専門委員 野口裕之/SANKEI EXPRESS)