宮中行事がやがて民間に出てくると、里人が怖がる鬼が追儺の対象になり、里の生活にふさわしい穀物として豆が選ばれるようなった。豆は「魔目」(まめ)に通じるとも考えられたからだ。その豆を炒るのは、ナマの豆では目(芽)が出てくるので、それを嫌ったからだった。このあたりいかにも日本的である。
一方、鬼についての見方も中世・近世になるにしたがって、きわめて日本的なキャラクタライズが強くなっていった。中国では鬼(き)はおおむね死者の類縁や死者の霊のことであるのだが、日本では異形の者、放逐された者、山に隠れる者などを鬼とみなした。「おに」の語源も「隠」(おぬ)に由来した。それゆえ昔話の「桃太郎」の話などは、中国的な桃のシンボリズムと日本的な山に棲む鬼の伝説とが、ちょうど相半ばするハイブリッドな例になったのである。
いま、日本人が何をもって「鬼は外、福は内」と言うかが、問われている。そろそろ鬼の正体を見極め、その他方では福の正体も見極めたい。(編集工学研究所所長・イシス編集学校校長 松岡正剛/SANKEI EXPRESS)