津波の予見性について、遺族側は「異常な揺れの中、支店にとどまれば危険が及ぶと予想できた」とし、約260メートル離れた町指定避難場所の「堀切山」に逃げるべきだったと指摘。銀行側は「屋上を超す津波は予見できなかった」としている。
七十七銀行は従来、大規模災害時の避難先を堀切山としていたが、09年の災害マニュアル改訂で新たに屋上を追加。七十七銀行担当者は法廷で、「震災前、宮城県が女川町で想定していた津波の水位は最高5.3~5.9メートルで、屋上の高さは十分と考えた」と証言した。
一方、遺族側は「屋上の追加は明らかな誤り」と指摘。従業員への防災・安全教育や避難訓練も不十分だったとして「防災意識の欠如により甚大な被害が発生した」と訴えている。(SANKEI EXPRESS (動画))