東日本大震災からちょうど1000日目の12月4日、東京電力福島第1原発事故のため全村避難を余儀なくされている福島県飯舘村(いいたてむら)の菅野(かんの)典雄村長が都内の日本記者クラブで会見した。
菅野村長が強調したのは、「生活の変化によって起きるリスクと放射能リスクをどうバランスさせるか」という点だった。
飯舘村の住民6000人のうち9割が、村から避難先まで車で1時間以内の範囲に暮らし、村内では働く場の確保を目的に特別養護老人ホームや工場など25の施設が稼働している。
大人は仕事を辞めなくて済む。子供は転校しなくてもすむ。祖父母と孫は、容易に顔を見られる距離を保てる。こうした距離にこだわったことで、「住民に集まってもらって、将来をどうするかについての相談が頻繁にできる」。村長は「避難は当然しなくてはならないが、住民の生活をズタズタにすることは避けたかった」と言う。
原発周辺自治体では、多くの住民が全国に散らばって暮らしている。そうした自治体は将来の町や村の青写真を描くことが難しい。