宮城県気仙沼市【拡大】
気仙沼市が行ったアンケートでは、「船を見ると震災を思い出してつらい」として撤去を望む声が多かった。しかし、船があったから多くの人がやってきて、いくばくかの消費をして復興を支えたことも事実だ。たとえ震災遺構の前でピースサインをして写真を撮っていたとしても、人口が減った地元商店街にとって観光客からの恩恵は大きかったのだ。
商店街に店を構える店主は言う。
「地元はなかなか復興が進まない。何もかもがなくなった場所に、あの船が鎮座している。復興が進まないのはあの船があるせいだ。そう思ってしまった市民が多かったのかもしれない」
復興が進まない怒りをぶつける先があの船になってしまったのではないかと語る店主の表情には、やりきれなさがにじむ。
震災を語るものが減っている。そんな中、ある福島県の遺族は、亡くなった息子を思い出すのはつらいと前置きしながらも、取材にわが子への尽きぬ愛情を語ってくれた。
「あの子を忘れないでほしいから」
そうだ。あの日から、まだ3年しかたっていない。(道丸摩耶/SANKEI EXPRESS)