初優勝を果たして横綱昇進を確実にし、優勝パレードで万歳をしながら笑顔をみせる大関鶴竜(かくりゅう、中央)。左は十両で初優勝した元小結の豊真将(ほうましょう)=2014年3月23日夜、大阪市浪速区(山田耕一撮影)【拡大】
苦手の生魚を克服し、丼飯は3杯も4杯もかきこんだ。初土俵を踏んだ頃82キロだった体は、今では154キロに。子供向けのひらがな練習帳で言葉を勉強していた少年は、いつしか日本のお笑いテレビ番組で“ツボ”がわかる大人に育った。
休みにも汗だく
同じ井筒部屋に所属し、昨年(2013年)定年退職した第36代木村庄之助(きむら・しょうのすけ)の山崎敏広氏(65)には忘れられない思い出がある。
幕下に昇進した2004(平成16)年秋場所で、鶴竜は1勝6敗と大きく負け越した。翌日からは1週間の稽古休みとなる千秋楽の夜。涙を流してしょんぼりする姿を見て、「明日も四股(しこ)を踏むくらいだったら怒られないよ」と耳打ちした。
すると、翌朝の稽古場には一人四股を踏んで汗だくになる鶴竜の姿があった。
人の助言を素直に受け入れ、ついに最高位昇進を引き寄せた今の姿に山崎氏は目を細める。「続けてやってきたことが花開くときが来たのだろう」
穏やかな性格とは裏腹に、向上心は強い。相撲教習所に通っていた新弟子時代、準備体操で国技館を走る際、毎日先頭を走っていた姿を同期生は覚えている。
「太っているからみんな走るのは嫌なもの。でも彼はまじめで、誰に言われるでもなく、ひたむきに走っていた」と証言する。