台湾・台北市の総統府、立法院(国会に総統)【拡大】
シンボルの花から「ヒマワリ学生運動」(太陽花学運)と銘打った今回は、台湾大学大学院生の林飛帆氏らが指導。行政院突入で逮捕者を出した後も馬英九総統との対話を拒み、3月30日のデモまで学生の動員態勢を維持した。
台湾では「世界最長」とされた1949年から87年までの戒厳令下で、学生運動を含む当局批判の街頭活動がほぼ全面的に規制されてきた。違反したケースでは憲兵隊による鎮圧や、首謀者の軍法会議での処罰が80年代初めまで繰り返された。
戒厳令後で最初の学生運動は、90年3月、約6000人の学生が台北中心部の当時の国民党本部周辺で繰り広げた「野ユリ学生運動」(野百合学運)だった。1週間に及んだ座り込みは、当時の国民党独裁体制を支えた「国民大会」の廃止や、国共内戦体制の根拠だった憲法臨時条項の撤廃など、本格的な政治の民主化を要求。当時の李登輝政権は、学生が求めた民主化を段階的に実行に移した。