笑顔を生む品
縁あって昨秋、京都某所にてかまど(京都では“おくどさん”と呼ぶ)で釜を使用し、ご飯を炊く機会があった。1979年生まれの私にとって、その体験は、全てが新鮮なものだった。特に、炊きあがり釜の蓋を開けた瞬間に立ち上る白い蒸気とともに広がる甘く濃い香りは、コメそのものの生命力の強さを感じさせるようであったし、口に含んだときのふっくらとした舌触りと深い味わいのバランスの素晴らしさ、香ばしいおこげのうまさは目を見張るようであり、文字通り「同じ釜の飯を食った」人々を幸せな笑顔へと導いてくれた。
この経験を経て、私は、慣れ親しんだご飯という存在をここまで高める立役者となった“釜”という存在に関心を持つことになった。
それからすこしたったある日、いつものようにふらりと釜浅商店を訪れ、顔なじみの案内人と世間話をしていると、とある釜が目に留まった。興味深そうに逸品を眺めていると、案内人がにこやかに話を始めた。
雪国ではいろりが中心となったが、その他の広い地域において、釜は永らく人々の食卓をつかさどっていた。