「左を制する者は世界を制す」とは、よく言ったものだと思う。4月6日、東京・大田区総合体育館で行われたWBC世界ライトフライ級タイトル戦でメキシコのアドリアン・エルナンデスからベルトを奪取した20歳の井上尚弥(大橋)は、わずかプロ6戦目で世界王者になってしまった。
これほど多彩で速く強い左の連打の数々を、誰に例えたらいいのだろう。連想したのは「怪物」のニックネーム通り、マイク・タイソンの左だった。晩年の野獣ぶりばかりが印象に強いが、カス・ダマトに育てられた若きタイソンの左は、まさに速く美しく、強烈だった。単にリードブローとするだけではなく、時にはダブルで、外からテンプル(こめかみ)を打ち抜いた左の拳が、目にも止まらず、次の瞬間には下からチン(あご)を突き上げた。
井上の左のダブルには、それを思いださせる迫力があった。しかも序盤、左のストレート、フック、アッパーが王者エルナンデスの右脇腹を集中的に襲った。よほど嫌だったのだろう。右の腰を引き、ガードを下げ、がら空きになった左目の上を井上の右フックが襲い、顔面に亀裂が走った。野球に例えることが正しいかどうか。打者エルナンデスにとってみれば、外角低めに正確にあらゆる球種を集められ、内角高めの剛球で仕留められたようなものだ。