なんとそこに、死んだはずの久里子が「ただいまぁ」と買い物袋を提げて帰宅する。「自分は生きていて、死んだのは相手のほう」だと互いに言い張る久里子と春生。だが亜土夢(と観客)には久里子も春生も見えている。誰が生きているのか、白とも黒ともつかないまま、不可思議な世界へ引きずり込まれる。
登場人物を慈しむように
しかし、似たような状況は実社会でもままある。家族や集団の中で、自分の存在が空気か「透明な何か」にでもなったかのように感じ、心もとなくなることはないだろうか。
相手にとって自分はいるのか、いないのか。あるいは誰かに「いる」と認識されなくても、自分は「いますよ」と言い切れるのか。「実存」を確認するには、結局、相手とぶつかり合うしかないのだと気付く。4月15日の公演では、薬師丸が髪を振り乱しての夫婦ゲンカを演じ、実存を確かめる姿があった。
「この夫婦は、中途半端さがない。ケンカも本気。相手を無視して、やり過ごしてしまえばラクに生きられるのに、って思いますが、久里子たちはそうしないんですね。すごく精いっぱい生きているんです」と薬師丸。