「徳川家と林家は故事に基づき、先祖代々、特別な関係で結ばれていた。正月、林家が兎(うさぎ)を献上し、将軍は兎汁を食べる。そして一番先に林家当主へ御酒(ごしゅ)を賜(たま)ったのです」
林忠崇は出陣していく。藩士数十人が同行した。拠点、真武根(まぶね)陣屋の表門を開く。大砲を1発、放った。林軍は、精鋭部隊、遊撃隊と合流。船に乗り込み、伊豆を目指す。箱根の関所を占拠して、新政府軍の補給路を断つ戦略だったようだ。しかし、攻撃を受け、敗退。それでも林軍は戦意を失わない。東北各地を転戦。仙台でついに降伏した。切腹を覚悟したが、護送され、東京で幽閉。5年後に赦免となった。
「忠崇は木更津にもどってきた。開拓農民となり、畑を耕した。北海道に渡り、商家の番頭もやったそうです」
木更津市の高台に登る。真武根陣屋跡の石碑が建つ。眼下に東京湾がかすむ。忠義を貫いた若武者の生涯を思う。劇的な人生をよく生きた。1941(昭和16)年、死去。享年94歳。(塩塚保/SANKEI EXPRESS)