デュフィは、印象派の巨匠・モネやピサロと同郷の港町、ルアーブルで生まれた。奨学金でパリの美術学校に進み、画家を目指す。
郷里の先輩たちの印象派に憧れたあと、マティスらのフォービスム(野獣派)、ピカソらのキュービスムにも影響され、一時キュビスムではジョルジュ・ブラックと制作旅行にいくほどのめり込んだが、色彩を極端に制限し、形の構築を追求するキュービスムには満足できず、色彩豊かな画法へと回帰する。変遷は、「トゥルーヴィルのポスター」や「レスタックのアーケード」の作品に顕著だ。
そして、デュフィがたどり着いた「絵の具の色が光を生む」との独自の理論では、色面が光そのものを表し、描かれる建物や人物にも個別の光や影がつけられていない。従来の絵では物の輪郭の中に塗り込められていた色も、輪郭外に解放された。これはデュフィ以外には見られない画法となった。
しかし、画面から感じられる軽妙さとは裏腹に、デュフィは、1枚の絵を完成するために、何十枚ものスケッチやデッサンを繰り返した。スケッチやデッサンで十分に試され、計算されたうえでの自由闊達さ。だからこそ、見る者の心を弾ませる“魔法”がかかり、簡単にはまねできない絵に仕上がっている。