日蓮宗系の尼僧、鈴木日宣(すずき・にっせん)さん=2014年4月2日、千葉県内(伴龍二撮影)【拡大】
物が覚えられず、せっかく覚えても端から忘れてしまい、ともすると自分の名前さえ忘れてしまうのでみんなから「愚か者」と呼ばれていたのです。シュリハンドクは「なぜ私はこんなにも愚か者なのだろう」と一人なげいていたとき、そこへお釈迦様がおいでになりました。そしてシュリハンドクに「お前は自分が愚か者だと嘆いているが、自分の愚かさに気づいている者は愚か者ではない。自分の愚かさに気づかず、自分は賢いと慢心し、人を蔑(さげす)んでみるような心の持ち主こそまことの愚か者である」と静かにお説きになりました。純粋なシュリハンドクはお釈迦様の教えを実践し、のちに優秀なお弟子の中から選ばれ「記別」(未来に仏になることがあらかじめ記された、卒業免状のようなもの)を授かりました。
人は思い上がり、慢心を抱く時、他人を馬鹿にしたり自身の過失さえ気づかないものです。そういう人間こそ「愚か者」なのだとお釈迦様は断言されています。自分の愚かさに気づき、過失あれば悔い改め、同じ過ちを二度と繰り返さない。そう生きる人が「賢き者」と言えるでしょう。