この感謝対象の順番は監督の発言でも同様だった。2人の真後ろにはスポンサー名が書かれたパネルが、そして使用マイク前にもメーンスポンサー会社の飲料ボトルとカンが、これ見よがしに置かれていた。結果として、メディアの発表速報はすべてそれを映さざるを得ないようになっていた。
巨大な金の動くスポーツ大会には広告会社がつき、スポンサーを集め、その意向を先取りした広報戦略が立てられる。だが、ここまでサポーターをバカにするのは、広告としても逆効果ではないかと筆者は心配になった。米国の米元労働長官のロバート・ライシュ氏は、こうした社会状況を『暴走する資本主義』(原著は2007年発刊、和訳は東洋経済新報社)として批判している。
競技の魅力矮小化
日本サッカー協会のホームページには、代表チームの「パートナー」として公式スポンサー・公式用具提供者・協力会社・マッチスポンサーの4つが挙げられている。自由市場社会では自らの資金で足りなければ、他社(者)から援助を受けるのは当然だが、それは本来のスポーツ活動の維持のためであるべきだ。金銭的に最後に支えているのは、そのスポンサーの商品を買うファンだからだ。