日本は当時、所得倍増計画のまっただ中。残業をいっぱいして、お金をためるのがよしとされていた。1日中仕事して、くたくたになって帰って、また目が覚めれば出勤。猛烈な働き方です。そんな中で、クラインガルテンを知った。なんという豊かな、本当の人間性を追求するとはこういうことだと思った。
天童 日本の豊かさの概念で貧民窟だと思って行ったら、実は一番豊かな暮らしがあった。それはショックだったでしょう。さあそこで、日本でクラインガルテンを始めようとされたわけですが、土地の開発やら滞在施設の建造やら、とにかく予算がいりますよね。(構成:塩塚夢/撮影:フォトグラファー 緑川真実(まなみ)/SANKEI EXPRESS)
■なかじま・まなぶ 1929年、長野県四賀村(現・松本市)生まれ。15歳で出征。終戦を特攻隊員として長崎県で迎える。全国養鶏経営者会議会長を経て、91年から2005年に四賀村が松本市に合併されるまで村長を務める。現在、農事組合法人「会田共同養鶏組合」会長理事。