もう答えが決まっていることを、わざと先延ばしにしてしまう癖がある。私は心配性で、びびりだから、なるべく遅く決断することで失敗するリスクを少しでも回避しようとしてしまうのだと分かっていても、やめられない。このあいだ、知り合いから保護された子猫を預かったのだが、飼うか飼わないかの大事な決断をするのが嫌で、私はいけないと思いながらも、のらりくらりと迷ったふりをしてしまった。そして、最終的に飼いたいと告げたとき、「そうなることは最初から分かってたよ」とその知り合いに言われて、はっとした。何日もかけて悩んだことが、急にものすごく無駄なことに思えたのだ。
パーティーの損失はもう十分
たとえば、私がしていることは、ひと思いに楽にされることを拒絶して、一日一回ずつパンチをされて一生痛めつけられる方法を選んでいるのと同じなのではないか。そして、地下室で謎のパーティーが始まっているとき、エレベーターで行くか、螺旋(らせん)階段で行くか、という選択を悶々(もんもん)としているようなものなのではないか。多くの人は興奮と不安を抱きながら「えい」とエレベーターに飛び乗ることにためらいを覚えないだろう。