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祇園祭 150年ぶり「大船鉾」 荒波越え凱旋 都大路に歓声 (2/4ページ)

2014.7.26 15:30

約150年ぶりに山鉾巡行(やまほこじゅんこう)に復帰して、町内へ凱旋(がいせん)する大船鉾(おおふねほこ)。鉾に乗り込んだお囃子(はやし)方は扇子を大きく振って声援に応えた=2014年7月24日午後、京都市下京区四条町(田中幸美撮影)

約150年ぶりに山鉾巡行(やまほこじゅんこう)に復帰して、町内へ凱旋(がいせん)する大船鉾(おおふねほこ)。鉾に乗り込んだお囃子(はやし)方は扇子を大きく振って声援に応えた=2014年7月24日午後、京都市下京区四条町(田中幸美撮影)【拡大】

  • 四条河原町の交差点に入って船頭を90度回転させる「辻回し」を行う大船鉾(おおふねほこ)=2014年7月26日、京都市中京区(安元雄太撮影)
  • 宵々山を迎え、多くの人で賑わう大船鉾(おおふねほこ)。鉾に上がるための待ち時間は90分に及んだ=2014年7月22日午後、京都市下京区(魚眼レンズ使用、恵守乾撮影)
  • 翌日の山鉾巡行(やまほこじゅんこう)の晴天を祈願して行われた「日和神楽」。屋台に太鼓や鉦(かね)を積み、祇園囃子を奏でながら、四条通寺町の御旅所へ向かった=2014年7月23日午後10時、京都市中京区の三条通(田中幸美撮影)
  • 四条町(しじょうちょう)に「凱旋(がいせん)」した大船鉾(おおふなほこ)に惜しみない拍手を送り続ける人々=2014年7月24日、京都市下京区(恵守乾撮影)
  • 京都市下京区四条町(しじょうちょう)

 大船鉾の歴史は古く、応仁の乱(1467~77年)以前に起源を持つ。前祭の「船鉾」と同様、神功(じんぐう)皇后の海外出征を題材とする。船鉾が「出陣の船鉾」と呼ばれるのに対し、大船鉾は戦勝して帰還する様子を描いたことから「凱旋の船鉾」と呼ばれる。平成の大船鉾は、全長7.47メートル、高さ6.25メートル。重さ12トン余り。船体は主にヒノキで造られた。

 ≪再建で生まれた絆 新たな歴史へ船出≫

 応仁の乱と天明の大火(1788年)で鉾は焼けて失われたが、そのたびに美しくよみがえった。その後、幕末の「蛤御門(はまぐりごもん)の変」(禁門の変・1864年)で再び被災。幸いご神体や江戸時代の文化期に集められた豪華絢爛(けんらん)な懸想品(けそうひん)は無事だったが、屋形の大半を失い、巡行に参加しない「休み山」となった。

 町ではご神体と懸想品を飾って神事を執り行う「居祭(いまつり)」を大切に守り続けた。しかし、高齢化と人口減少などにより祭りの担い手が減り、居祭の継続が困難になって1995(平成7)年に居祭を中止。

若手「お囃子を復活させたら居祭ができる」

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