約150年ぶりに山鉾巡行(やまほこじゅんこう)に復帰して、町内へ凱旋(がいせん)する大船鉾(おおふねほこ)。鉾に乗り込んだお囃子(はやし)方は扇子を大きく振って声援に応えた=2014年7月24日午後、京都市下京区四条町(田中幸美撮影)【拡大】
大船鉾の歴史は古く、応仁の乱(1467~77年)以前に起源を持つ。前祭の「船鉾」と同様、神功(じんぐう)皇后の海外出征を題材とする。船鉾が「出陣の船鉾」と呼ばれるのに対し、大船鉾は戦勝して帰還する様子を描いたことから「凱旋の船鉾」と呼ばれる。平成の大船鉾は、全長7.47メートル、高さ6.25メートル。重さ12トン余り。船体は主にヒノキで造られた。
≪再建で生まれた絆 新たな歴史へ船出≫
応仁の乱と天明の大火(1788年)で鉾は焼けて失われたが、そのたびに美しくよみがえった。その後、幕末の「蛤御門(はまぐりごもん)の変」(禁門の変・1864年)で再び被災。幸いご神体や江戸時代の文化期に集められた豪華絢爛(けんらん)な懸想品(けそうひん)は無事だったが、屋形の大半を失い、巡行に参加しない「休み山」となった。
町ではご神体と懸想品を飾って神事を執り行う「居祭(いまつり)」を大切に守り続けた。しかし、高齢化と人口減少などにより祭りの担い手が減り、居祭の継続が困難になって1995(平成7)年に居祭を中止。