雨の夕暮れ。孫文の筆「天下為公」(「天下は公のため」の意)を掲げた牌楼(ぱいろう)の向こうに、ライトアップされた台北・故宮博物院の威容が浮かび上がる。
青銅器や玉器、書画、陶磁器など約69万件を所蔵する、中国美術の殿堂。宋から清までの歴代王朝が、その正当性の証しとして形成したコレクションだ。しかし、これら珠玉の文物が台北市北部、陽明山の麓に安住の地を見つけるまでには、紆余(うよ)曲折があった。
清朝のラストエンペラー、溥儀(ふぎ)を追放した国民党政権が、北京・紫禁城(しきんじょう)に故宮博物院を開いたのは1925年。しかしわずか8年後の33年、中国北部で日中関係が緊迫し、文物は北京から上海、そして南京へと移された。37年に日中戦争が始まると、四川省などさらに内陸へと疎開。終戦後にいったん南京に戻されたが、今度は国共内戦のため、国民党政府は危険を冒し、その一部を49年までに台湾へ移送した。
文物は“万里の旅”とも呼ばれる流転の中、人々の決死の努力で守られてきたのだ。