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台北・故宮博物院展 万里の旅越えた69万点 (1/3ページ)

2014.8.18 11:45

天下為公アーチの向こうに故宮博物院(本館)が建つ。美しくライトアップされ、薄暮の空に浮かび上がった=2014年5月23日、台湾・台北市(奈須稔撮影)

天下為公アーチの向こうに故宮博物院(本館)が建つ。美しくライトアップされ、薄暮の空に浮かび上がった=2014年5月23日、台湾・台北市(奈須稔撮影)【拡大】

  • 「散氏盤(さんしばん)」は中国・西周時代(約2800年前)の青銅器。権力を象徴する皇帝コレクションの重宝だ=2014年5月23日、台湾・台北市の故宮博物院(奈須稔撮影)
  • 「青花龍文大瓶」は明代の国力を象徴する青色磁器。中国からの観光客らも息をのんだ=2014年5月23日、台湾・台北市の故宮博物館(奈須稔撮影)
  • 「青花龍文大瓶」は明代の国力を象徴する青色磁器。中国からの観光客らも息をのんだ=2014年5月23日、台湾・台北市の故宮博物院(奈須稔撮影)
  • 清代の玉器「人と熊」(中央)と、角煮のような「肉形石」(右)は、老若男女に人気の故宮博物院を代表する名作だ=2014年5月23日、台湾・台北市(奈須稔撮影)
  • 台湾・台北市、中国・首都北京市

 雨の夕暮れ。孫文の筆「天下為公」(「天下は公のため」の意)を掲げた牌楼(ぱいろう)の向こうに、ライトアップされた台北・故宮博物院の威容が浮かび上がる。

 青銅器や玉器、書画、陶磁器など約69万件を所蔵する、中国美術の殿堂。宋から清までの歴代王朝が、その正当性の証しとして形成したコレクションだ。しかし、これら珠玉の文物が台北市北部、陽明山の麓に安住の地を見つけるまでには、紆余(うよ)曲折があった。

 清朝のラストエンペラー、溥儀(ふぎ)を追放した国民党政権が、北京・紫禁城(しきんじょう)に故宮博物院を開いたのは1925年。しかしわずか8年後の33年、中国北部で日中関係が緊迫し、文物は北京から上海、そして南京へと移された。37年に日中戦争が始まると、四川省などさらに内陸へと疎開。終戦後にいったん南京に戻されたが、今度は国共内戦のため、国民党政府は危険を冒し、その一部を49年までに台湾へ移送した。

 文物は“万里の旅”とも呼ばれる流転の中、人々の決死の努力で守られてきたのだ。

至宝それぞれが秘めた物語

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