ともあれ、この映画ではデヴィッド・バーンのセンスが際立っていたと僕は断言しよう。たった一人で演奏する1曲目のステージに続き、2曲目で一人、3曲目でもう一人と舞台上の演者がどんどん増えてゆき、最後の楽曲が終わったときにはサポートメンバーや観客をも巻き込んだ大団円で幕をとじる演出にしびれまくった。また、1979年に発表したアルバム『Fear of music』に収録されている『I Zimbra』以降、バーンが傾倒したアフリカン・リズムも、このライブツアーで最高潮を迎えていた。Pファンクの屋台骨をつくったバーニー・ウォーレルが準メンバーとして加わっていた当時のトーキング・ヘッズは、なんというか、腰と内臓に直接響いてくるバンドだった。
しかも、トーキング・ヘッズは音楽性だけでなく、無意味そうな意味性を持ったメッセージやら、PVや舞台の演出法、ファッション、アルバムのジャケットデザインなど、あらゆる角度から「みられる」ことを意識していた点も新鮮だった。実際のところ、日本に輸入された当時は、トーキング・ヘッズ=「おしゃれ」野郎の代名詞として扱われていたらしい。かくいう僕だって、女の子になんとかモテたくて聴き始めたようなものだったし(実際、肩パットの大きすぎるジャケットでは、モテるはずもないのだが…)。でも、そんなよこしまな目的だって、いいじゃないか!と声を荒らげるまでには、もう600ワード程待っていただきます。