1990年代、台湾で高速鉄道計画が動きだすと、日本企業連合も新幹線システムの売り出しに動いたが、台湾政府は98年、欧州方式の運行を決定。だが、ドイツで高速鉄道脱線事故が発生し、台湾中部大地震が起きたことで、同じ地震国で乗客が死亡するような衝突や脱線の事故がない日本の新幹線技術が見直された。
結果的に台湾高鉄は日本連合と車両や運行管理の事業で契約を締結。安全面だけではなく価格面でも、欧州企業連合より優位性があるとして受注に成功した。
日欧混在でスタート
ただ問題も生じた。欧州企業連合の工事が始まっており、事業は日欧の混在方式に落ち着く。海外鉄道技術協力協会(東京)の大沼富昭事業部長は「欧州方式の基本設計に日本が合わせる形で苦労した」と振り返る。
システム混在に伴う工期の遅延を受け、台湾新幹線は当初計画よりも2年遅れて開業を迎える事態に陥った。