1988年に加藤和彦プロデュースの「サブリナ」でデビューした高岡早紀は、ベールに包まれたロリータアイドルというイメージだった。88年といえば、おニャン子解散の年。アイドルは曲がり角だったが、そんな世相とは関係なく、超絶したイメージだったのだ。「露出もわざと抑えて、イメージを作り上げていたんです」と高岡は当時をふり返っていう。
ヨーロッパ風の雰囲気をたたえた美少女というコンセプトは、マニアには垂涎(すいぜん)の的だった。80年代アイドルブームが過熱し、バブリーでドメスティックで下世話なアイドルが次第に失速していく中、メディア露出をコントロールするという動き方が可能だったところが高岡の希少性を物語る。
高岡早紀の父親は、ジャズライブハウスとしては老舗である横浜エアジンの創始者、高岡寛治だった。同じくジャズを愛する母親の2人に育てられたという。
「ジャズは子供の頃から子守歌のようでした。家では母がジャズのレコードをかけていました。生活のなかにあったジャズが自分の中で培われていたという感じです」