それでも政府の担当者に家族の思いは伝わっているのだろうかという不安が残る。1978年に拉致された田口さんは北朝鮮で大韓航空機爆破事件(87年)の実行犯、金賢姫(キム・キョンヒ)元工作員(52)に日本語などを教えていたが、金元工作員の証言で事実が分かったのは91年。それ以来、20年以上にわたって飯塚さんは北朝鮮と対峙することを余儀なくされている。
ほかの家族も事情は同じだ。だが政府の担当者は次々に替わる。政府に頼らざるを得ない立場を理解しているからこそ、家族の思いが十分に理解されないことにもどかしさを覚える。
あるときには、担当交代で訪れた政府関係者に「家族は、代わることができないんです」とこぼすこともあった。飯塚さんは「戦って、待ち続けても結果が出ない。そのたびに味わった苦しい思いは家族にしか分からない」と感じることもあるという。