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【続・灰色の記憶覚書】散歩する帰郷 長塚圭史 (2/4ページ)

2014.11.10 14:40

「ふるさと」を思うとき、なぜか夕暮れの光景を思い浮かべてしまうような。あんまり暮れると照れくさいので、夕暮れの少し前=2014年10月21日(長塚圭史さん撮影)

「ふるさと」を思うとき、なぜか夕暮れの光景を思い浮かべてしまうような。あんまり暮れると照れくさいので、夕暮れの少し前=2014年10月21日(長塚圭史さん撮影)【拡大】

  • 【続・灰色の記憶覚書(メモ)】演出家の長塚圭史さん(提供写真)

 子供の頃に覚えた道

 東京出身の私の「ふるさと」は、具体的には消失してしまっている。幼少時代を過ごした奥沢の家は既にない。西荻窪の善福寺川のすぐ傍にあった母方の古い家もなくしてしまった。ではもはや私は「ふるさと」を持たないのか。これが案外そうでもなく、実は私はちょこちょこ帰郷している。父や母という人物を「ふるさと」にしているのではない。そうではなくて、これはどういうわけだか知れないのだけれど、幼稚園から小学校までを過ごした渋谷区の一角が私の郷愁を強烈に誘うのだ。私は時にリラックスを求め、時にセンチメンタルを求め、時にほとんど意味もなく、その界隈(かいわい)をぐるぐると歩き回る。家なき「ふるさと」を闊歩(かっぽ)する。これが私の帰郷である。

 一つには匂いがある。私の「ふるさと」の中心はかなり寂れてしまった商店街の裏道で、その通りは今でも幼少期とまるで同じ匂いを放つ。ような気がしている。くんくんと嗅ぎに行くのではない。ただ歩いているとふわりと懐かしい気持ちになる。それが本当に匂ったからなのかどうかは問題ではないだろう。もう一つにはやはりよく道を知っているということがある。大人の私が覚えたのではない。子供の私が覚えた道なのだ。誰それ君の家と誰それさんの家の脇を入ると誰それ君の家の前を通って八百屋に出る。この狭い区域が幼少の私にとっての世界全部だったのだ。

捉えて放さぬ磁力

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