炭化した巻物文書は260年前、ポンペイの近くにあった古代都市ヘルクラネウムの邸宅「パピルス荘」の書庫から見つかった。この邸宅は、帝政ローマの礎を築いたジュリアス・シーザー(紀元前100~紀元前44年)の義父で、裕福だった政治家、カルプルニウス・ピソ・カエソニヌスが所有していたとみられている。
大噴火によって、ポンペイは火山灰の分厚い層の下に埋もれたが、ヘルクラネウムには300度以上の高温の火山ガスが押し寄せ、巻物が一瞬で黒こげに炭化した。米ネイチャー系雑誌ナショナル・ジオグラフィック電子版によると、巻物文書は800本見つかったが、炭化状態のため非常にもろく、運搬や調査研究の過程で多くが壊れ、約300本に減ってしまった。
解きほどこうとすればたちまち壊れる約20センチの巻物が相手とあって、そこに書かれた文字の解読は不可能だと思われていた。研究チームを率いるIMMの科学者、ビト・モセラ博士も「(肉眼では)炭化した巻物も文字もほぼ同じ(黒一色の)状態」で、解読は半ば諦めていたと振り返る。