天空の城塞(じょうさい)。備中(びっちゅう)松山城。岡山県高梁(たかはし)市に建つ。生涯に一度は訪れてみたいと思っていた。この冬。ようやく念願がかなった。
雪が降る。険しい山道を登っていく。1歩。1歩。1歩。息が荒くなる。ようやく本丸に着いた。突如、雪がやんだ。からりと晴れた。真っ青な空。
松山城は鎌倉時代、高梁川を見下ろす小高い山(標高430メートル)に築かれた。石段を登る。天守に入った。荒々しい削り跡がむき出しの柱。板の間にいろり。冬の籠城戦に備えた。ここで暖を取り、食事をしたのだろう。一段高く「装束の間」。籠城時、城主の居室となった。床下には石を詰め込んでいる。暗殺を狙う忍びの者が侵入できないようにとの工夫だ。解説にはこう記してあった。
「戦に敗れ、落城の時は、城主の死に場所でもある」
松山城は備中の国の戦略拠点だった。戦国時代、激しい争奪戦が繰り返されている。落城の危機に直面した悲運の城主もいたのだ。
城内で資料を読む。意外な史実を知った。江戸時代。当時の城主だった水谷(みずのや)氏がお家断絶となった。幕府は城の接収を決定した。