「これでマラソンのスタートに立った。ここからが本当の勝負です」。世界選手権(8月、北京)初代表の座を大きく引き寄せ、“箱根の幻影”から一歩踏み出すきっかけをつかんだ。
「山の神」の重圧
「山の神」と呼ばれてきた。今も沿道などから、そう声を掛けられる。順天堂大学2年から箱根駅伝の山上り5区を担い、3年連続で区間賞を記録。圧巻の走りは鮮烈な印象を刻み、将来への期待を膨らませた。
「入社当時は故障や『山の神』と言われるプレッシャーもあり、うまくいかなかった」と、所属するトヨタ自動車九州の森下広一監督。本人も「気持ちが空回りすることも多かった」。
2008年からマラソンに挑戦したが、終盤に失速するなどして、なかなか結果につながらなかった。12年ロンドン五輪出場を逃した後は練習に身が入らなくなった。周囲に励まされ、自分と向き合うこと半年。「やってきた練習を本番で最低限出せれば良しとしよう」。少し力を抜き、まだ袖を通したことのない日の丸のユニホームを目標に再び走り始めた。