数カ月後に練習を再開した。被曝(ひばく)の不安はぬぐえなかったが、両親らの支えを受けて走り続けた。高校進学では、県外に移る有力選手もいる中で、迷いながらも地元の高校を選んだ。
「人の温かさや、慣れ親しんだ街…」。うまく表現はできないが、やはり地元が一番だと信じ、この地でがんばろうと決意を固めたという。
持ち前の忍耐強さと長身を生かし、今月の「いわきサンシャインマラソン」では高校生の部で2位に入るなど、将来を期待される逸材に成長した。
「普段は口数が少ない穏やかな生徒だが、走り出すと見違えるほどダイナミックになる。福島に希望の灯をともすような世界的な選手になってほしいし、素質は十分にある」。いわき秀英高校陸上競技部の小野秀憲監督(41)も期待を寄せる。
2020年にはこの東京で五輪が開催される。そのころには、アスリートとして充実した年代になっている。「まだまだ現実として描いているわけではない。また、福島のがんばりを伝えられれば」。蛭田さんの目は、漠然とだが5年後を見据えていた。(SANKEI EXPRESS)