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【東日本大震災4年】涙見せない 笑顔になれたら「復興」 宮城県遺族代表、佐藤貴子さん (1/2ページ)

2015.3.12 09:35

津波で生徒らが犠牲になった宮城県名取市の旧閖上(ゆりあげ)中学校では、ハト形の風船約360個を海の方角へ飛ばして犠牲者を悼んだ=2015年3月11日午後(宮崎瑞穂撮影)

津波で生徒らが犠牲になった宮城県名取市の旧閖上(ゆりあげ)中学校では、ハト形の風船約360個を海の方角へ飛ばして犠牲者を悼んだ=2015年3月11日午後(宮崎瑞穂撮影)【拡大】

  • 岩手県宮古市の巨大防潮堤の上で、震災発生時刻に長女を抱きしめ、海に向かって犠牲となった祖母の冥福を祈る男性=2015年3月11日午後(鴨川一也撮影)
  • 追悼式を終えた(右から)佐藤貴子さん、長女の風花(ふうか)ちゃん、長男の丈留(たける)君=2015年3月11日、宮城県宮城郡七ケ浜町(滝口亜希撮影)
  • 主な被災地・施設=2011年3月11日当時

 「ねえ、お父さん。あなたのいとしいいとしい子供たちは、こんなに大きくなりました」。空の上の夫に語りかける言葉は、少し震えていた。でも、幼い2人の子供の前で涙は見せたくない。悲しみを抱えながらも元気に振る舞う長女、地震のたびに布団や机に隠れる長男…。「2人を育てていかなきゃいけないのに、泣いていられない」。そう誓ったからだ。津波で夫を亡くした佐藤貴子さん(34)は11日、宮城県七ケ浜町の追悼式で遺族代表として壇上で、祈りをささげた。

 4年前の3月11日は、うれしい記念日になるはずだった。前年11月に生まれた長男、丈留(たける)君(4)のお食い初めの日で、夜には仕事から戻った夫の秀行さん=当時(32)=、長女の風花(ふうか)ちゃん(9)と家族4人でごちそうを囲むことになっていた。

 「いってらっしゃい」「いってきます」。いつもと同じ朝、同じ会話。それが最後になった。物流会社に勤める秀行さんは、仙台港のコンテナ置き場で作業をしていた。「大丈夫?」と送ったメールに返事はなかったが、「逃げていると思った」。だが、数日後、宮城県利府町の遺体安置所に収容されていることが判明した。

子供たちには「パパはお星さまになったんだよ」

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